最近、葬式が多い。

人が死んでしまうのは悲しい事だ。

先日も親戚が亡くなった。

そしてちょっと前には、嫁さんのじいちゃんが亡くなった。

去年の年末には、僕のじいちゃん。

みんな高齢で、闘病の末、旅立って行った。

全員ガンに侵された。
闘病生活→死

そういう構図を、正直今まではあまり直視した事は無かった。

今回、3連続でそれを見た僕は考えることが多かった。

病院でのすさまじい光景。

「ホースを外して、このまま殺してくれ」

じいちゃんに、そう言わせてしまうほど壮絶な戦いだった。

 

延命治療はしない。

そういう方針だったのだが、殺してくれと言われても殺すことは出来ない。

病院としても、最低限の酸素や点滴は行わなければならない。

気持ち的には、拷問を受けている感じなのかも知れないと思った。

だから、僕らは毎日お見舞いに行った。

行けない時もあったが、時間が空けばお見舞いに行った。

生きている事の意味と、生かされている事の意味。

僕には違いがハッキリと判ってしまった。

孫を見て、ニコッと笑うじいちゃん。

悲しさがこみ上げて来る。
僕と嫁さんは、お互いになにかあっても延命治療をしない。

そういう話は結構前からしていてた。

しかし、本当に出来るだろうか?

延命とはどこまでが延命なのか?

抗がん剤を止めるのと、苦しんでいる人の酸素を外すのは違う気もする。

酸素マスクをしていないと、酸素数値が下がり死んでしまう。

それを外すということは、人を殺すという事なのだろうか。

僕はガンになり、助からないと言われたら家に帰りたい。

しかし、苦しんでいる僕を見て家族はどう思うのか。

本当に考えた。
病院で拷問のような延命を受け生き延びるよりも

僕は、大好きな家族と一緒に最後までいたい。

そうは思うが、自分の事が自分で出来なくなるわけだからね。

悩む所ではある。痛みも相当なものだろうし。

 

また、逝く順番というのも大きいと思った。

人間、色々な人が居るので一概にな言えないが

嫁さんに先に逝かれると、本当に辛いと思う。
先日の親戚は、奥さんが先に逝ってしまったケース。

もう、見ていられない。

奥さんを一生懸命介護し、病院に連日泊まる。

本当に愛が無ければ出来ない事だと思う。

闘病の末、逝ってしまった訳だが・・・。
そして、告別式で、年老いて小さくなった体を震わせ

亡き妻に向かって「ありがとう」

そう叫ぶ姿は衝撃的だった。

あの「ありがとう」は凄いありがとうだと思う。
妻を長期にわたり看病し、毎日寝不足でたまに倒れて。

見る人が見れば、「奥さんの看病で可哀想」そう思うかも知れない。

でも、「ありがとう」そう叫んだ。

お金や名誉なんかじゃ埋まらないもの。

それが夫婦の中にあったんだろうね。
本当に僕も号泣してしまった。

物凄く、大きな大きな「ありがとう」だった。
告別式の帰り、僕は車の中で嫁さんに言った。

「俺より先に死んだら駄目だからな」
僕は思った。

嫁さんには長生きしてもらおう。

嫁さんが死んだら・・・・。

考えただけでも、恐ろしい。

告別式の後だからかも知れないが、涙が止まらなかった。
人間、永遠には生きられない。

限られた時間の中で、僕に出来ることをしよう。

数日前の夜、いつものように焼酎を飲みテレビを見ていた。

長女は絵を描き、次女は「にしおか〜すみこだよ〜」とお笑い芸人のマネをしている。

いつもと何も変わらない風景なのだが、なぜか涙が流れた。

「あんなに小さくて、自分で何も出来なかったのに」

そんな気持ちがナゼか盛り上がってしまった。

今までは、親が居なければ何にも出来なかったのに

最近では、着替えはもちろん服も自分で選び、お風呂も自分で入れる。

成長ってスゲーって思っ訳ですね。

子供を二人抱えて買い物袋を持ち、

腕をプルプル言わせながら家の鍵を開ける事は、遠い昔に思える。

銭湯に行っても、長女が次女を見ていてくれるので

今ではサウナにも入れるようになった。

そして子供との関わりも、少し変化してきた。

教育という関わりが増えた。

まあ、僕の子育ては独特かも知れない。

自分の身は自分で守る。

そういう事を重点的に教えてきた。

交通ルールはもちろんだが、

車に閉じ込められた時の脱出方法や、鍵の開け方

さらに、人が大勢居るお祭りやデパートなどで迷子になった場合の対処方法など。

迷子や困った時は、とりあえず人に聞く。

これを徹底して教えた。

まずは、スーパーに言って大根を買ってくる所からスタート。

まあ、テレビでよくある「はじめてのおつかい」ってやつですね。

実際の話ですが、僕は買い物に行った娘の尾行をしていて

警備員さんに声をかけられました(笑)

よっぽど不審者だったんでしょうね。「誘拐か?」みたいな(笑)

そんなこんなで、今まではテーマ的には「生きる」だったんですね。

今後は「なんで?どうして?」に答えていかなきゃならない。

ただ、これって物凄く大変。

たまに「どうしても!」とか「そうなってるから!」と答えになってない事もある。

「か〜ら〜す、なぜなくの」の歌でカラスは山に帰るという歌詞があり

「本当にカラスの家は山にあるの?」としつこく聞かれ

カラスの巣を見つけに山に行った事もある。

僕は勉強が全然出来なかった。

ただ、教えられる事は他にも沢山あるんじゃないかと思う。

楽しみながら学べる状況を作ってあげたい。

仕事ももちろん大切だし、自分の時間も大切。

しかし、子育てというウエイトは今現在重いのだ。

そのウエイトはいずれ軽くなっていくのだろう。

自分で自分の道を決め、歩けるようになるまで

僕は手助けをしたい。

やりたい事や、行きたい所、僕も嫁も沢山ある。

でも、それは子供が大きくなってからでも出来る。

追伸

にしおかすみこ様

頼みますから「このブタやろう!」っての止めてもらえますか。

家に帰る度に、「どこのどいつだい!このブタやろう!」って

次女に言われるんですが・・・。

 

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先日、娘とテレビを見ていた。

僕のおなかの上で寝ている長女は、僕の見ているニュースを仕方が無く見ている。

そのとき、北海道でのコンビニ強盗のニュースが流れた。
長女は5歳になり、色々な事が判る様になってきた。

長女は僕に聞く。

「これって本当の話?」

本当の事と、作り物(ドラマなど)も最近では判っているようだ。

僕は、「そうだよ、本当にあった話だよ。コンビニに泥棒が入ったんだよ。」

何気にそう答えた。

長女は、「え〜!泥棒したら駄目だよね!凄い悪い人だね!」

そう驚きながら答えた。
僕は、「これはちょっとまずいな・・・」そう思いながら長女に話しかけた。

「じゃあさ、パパがさ仕事出来なくなって誰にも助けてもらえなくてさ、

 みんながお腹空かせて泣いていたとするでしょ。それでパパがどうしようも無くなって

 泥棒したらどう思う?」

意地悪な質問だが、答えを与えるのでは無く、考えさせたかった。

 

別に、悪いことが正しいとかそういう話では無い。

ただ、物事には視点というものがあり

見方(視点)が変わればストーリーは変わってくる。

自分の気持ちだけではなく、相手の立場に立って考える事の重要性を教えたかった。
長女はしばらく考え

「パパってお金無いの?私のお年玉あげようか?」そう答えた。

思わず僕は笑った。そして長女も笑った。
僕は「パパは大丈夫、お金もちゃんとあるよ。でも、病気とかで仕事出来なくなって

   今、テレビに出てた人みたいになっちゃったらどうする?」そう話した。

長女は、また考え、そして泣き出した。

 

「わ!やべ!」

 

そう思った僕は、長女を抱き上げ「大丈夫!パパは悪い事しないから!」そう言った。

しかし、僕の思いとは違い長女は

「パパ、さっきの人って可哀想だね。」そう答えた。
正直、年齢的にまだ早い話題だったのかも知れない。

しかし、ホームレスを見て「仕事しないとああなっちゃうよ」と教える親に僕はなりたくない。

子供と一緒に居て、いつも思う。

理想と現実。

犯罪がゼロになる事はないし、自分の思い通りにならない事は、これから沢山ある。

君が大きくなったとき、日本はどうなっているのか?そんな事も思ったりする。
悪い事は、もちろんいけない。

社会には、仲良く暮らすルールがあって、守らない人は罰せられる。

子供にはそう教えていたが、悪い事をした人が全て悪い人では無い。

罪を憎んで人を憎まずでは無いが、新たなる視点と想像力。
それも同時に教えていかなければと思った。
それにしても難しい問題だ。

一歩間違えれば、犯罪OKになってしまうし

もっと間違えれば、テロ支援もOKになってしまう。
ただね、相手の立場に立って考えられると

人を許せるようになるし、人に優しくなれる。

これは、僕が子供に教えられた事だ。

 

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