2008 2月 21 のアーカイブ

最近、葬式が多い。

人が死んでしまうのは悲しい事だ。

先日も親戚が亡くなった。

そしてちょっと前には、嫁さんのじいちゃんが亡くなった。

去年の年末には、僕のじいちゃん。

みんな高齢で、闘病の末、旅立って行った。

全員ガンに侵された。
闘病生活→死

そういう構図を、正直今まではあまり直視した事は無かった。

今回、3連続でそれを見た僕は考えることが多かった。

病院でのすさまじい光景。

「ホースを外して、このまま殺してくれ」

じいちゃんに、そう言わせてしまうほど壮絶な戦いだった。

 

延命治療はしない。

そういう方針だったのだが、殺してくれと言われても殺すことは出来ない。

病院としても、最低限の酸素や点滴は行わなければならない。

気持ち的には、拷問を受けている感じなのかも知れないと思った。

だから、僕らは毎日お見舞いに行った。

行けない時もあったが、時間が空けばお見舞いに行った。

生きている事の意味と、生かされている事の意味。

僕には違いがハッキリと判ってしまった。

孫を見て、ニコッと笑うじいちゃん。

悲しさがこみ上げて来る。
僕と嫁さんは、お互いになにかあっても延命治療をしない。

そういう話は結構前からしていてた。

しかし、本当に出来るだろうか?

延命とはどこまでが延命なのか?

抗がん剤を止めるのと、苦しんでいる人の酸素を外すのは違う気もする。

酸素マスクをしていないと、酸素数値が下がり死んでしまう。

それを外すということは、人を殺すという事なのだろうか。

僕はガンになり、助からないと言われたら家に帰りたい。

しかし、苦しんでいる僕を見て家族はどう思うのか。

本当に考えた。
病院で拷問のような延命を受け生き延びるよりも

僕は、大好きな家族と一緒に最後までいたい。

そうは思うが、自分の事が自分で出来なくなるわけだからね。

悩む所ではある。痛みも相当なものだろうし。

 

また、逝く順番というのも大きいと思った。

人間、色々な人が居るので一概にな言えないが

嫁さんに先に逝かれると、本当に辛いと思う。
先日の親戚は、奥さんが先に逝ってしまったケース。

もう、見ていられない。

奥さんを一生懸命介護し、病院に連日泊まる。

本当に愛が無ければ出来ない事だと思う。

闘病の末、逝ってしまった訳だが・・・。
そして、告別式で、年老いて小さくなった体を震わせ

亡き妻に向かって「ありがとう」

そう叫ぶ姿は衝撃的だった。

あの「ありがとう」は凄いありがとうだと思う。
妻を長期にわたり看病し、毎日寝不足でたまに倒れて。

見る人が見れば、「奥さんの看病で可哀想」そう思うかも知れない。

でも、「ありがとう」そう叫んだ。

お金や名誉なんかじゃ埋まらないもの。

それが夫婦の中にあったんだろうね。
本当に僕も号泣してしまった。

物凄く、大きな大きな「ありがとう」だった。
告別式の帰り、僕は車の中で嫁さんに言った。

「俺より先に死んだら駄目だからな」
僕は思った。

嫁さんには長生きしてもらおう。

嫁さんが死んだら・・・・。

考えただけでも、恐ろしい。

告別式の後だからかも知れないが、涙が止まらなかった。
人間、永遠には生きられない。

限られた時間の中で、僕に出来ることをしよう。